がんを乗り越えるために大事なこと 大病 個人融資

がんを「乗り越える」ために大事なこと 大病 個人融資
今回も、大病シリーズをお届けいたします。

兵庫県神戸市に本拠地を置くフットサルチーム「デウソン神戸」の監督を務める鈴村拓也。選手として日本のフットサル黎明期を支え、日本代表でも活躍してきた鈴村は、5年前に「上咽頭がん」と診断された。その後、5回の抗がん剤投与と35回の放射線治療を受け、9カ月でピッチに復帰。今ではほぼ完治に向かっている。

がんと判ったのだから、むしろやるべきことが明確になった
「今は毎日、朝から晩までフットサル中心の生活を送っています。後遺症は多少残っていますが、普段がんを意識することはほとんどありません」

毎日、午前中は練習場で選手たちを見守る。午後はライバルチームの映像を見ながら、チーム強化の対策を練り、夕方からは小・中学生のコーチを行う日もある。そんな現在の鈴村の姿から、がんの影響はほとんど感じられない。鈴村が上咽頭がんを宣告されたのは、2012年12月のことだった。

「頸(けい)が腫れてきたので病院に行ったら、内科で検査をされ、次に耳鼻科に回され……。何回も検査をされました。そのときは『何でこんなに検査をしなくちゃならないんだろう?』と不安を感じながらも、選手として練習やプレーを続けていました」

鈴村 拓也 (すずむら たくや)_87431.jpg
やがてステージ3の上咽頭がんであることが判明する。頸の腫れは、リンパ節への転移だったのだ。

「まさか自分ががんになるなんて……と、さすがに宣告された日の晩は落ち込みました。でも悩んでいても仕方がない。むしろ、がんと判ったのだから、やるべきことは明確になった。現実と向き合い、受け入れるしかない。しっかり治療を受けて、必ず治してやると決めました」

「ダメもとで医師に『僕は現役復帰を目指していいんでしょうか?』と聞きました。医師からは『何を言っているんだ』と怒られるかと思ったら、『もちろんです、復帰を目指して治療を頑張りましょう!』と力強い言葉をいただけました。その一言が、僕にとっては大きな励みになりました。フットサルから一時的に離れる必要はあるけれども、がんを治しさえすればまたピッチに立てる。観客の前でプレーができる。だったら治療は早いほうがいいと、2週間後には入院をすることにしました」

同年12月9日の試合後、鈴村は観客に戦線を離脱して治療に専念することを伝えた。「怖いけど、医師から治ると言われたので受け入れたい。必ずピッチに戻ってきます」。涙ながらに復帰を誓う鈴村に、たくさんのエールが送られた。

小さな喜びを大切にすることが、治療への気持ちを前進させた
その後、抗がん剤投与と放射線治療が始まった。副作用を抑える薬などの開発により、現在のがん治療はかつてよりつらさは軽減されている。しかし副作用には個人差もある。

「必ず治して復帰すると思ったものの、食事ができず、吐き気をもよおす日が続きました。体重もずいぶん落ちて、疲れて何もしたくない。数日間、部屋のカーテンを締め切って、自分は復帰なんてできるんだろうか……と不安に襲われたこともあります」

アスリートである鈴村は、自己に厳しい。復帰への強い思いが、知らず知らずに自分を追い詰めていたのだろう。「このままじゃだめだ……」そう思った鈴村は、一旦自分をリセットすることにした。

「自分はやるべきことはやっている。じたばたしても仕方がない。今はこのままでいいんだ。そう思って、無気力になって1日中ぼーっとしている自分を責めず、そのまま受け入れることにしました。自分にもう少し優しくしよう、と思ったんです。流れにすべてを任せよう、一回無になればあとは上がるだけだ、と腹をくくりました」

「人事を尽くして天命を待つ」……そのとき、こんな言葉が鈴村の脳裏をよぎった。四日市中央工業高校サッカー部の恩師、樋口監督がよく語っていた言葉だ。自分が監督になった今も、自分を律する大切な言葉である。

「それからは今、自分の目の前にあることだけに意識を向けるようになりました。余計なことは一切考えない。妻や子ども、また見舞いに来てくれたフットサルの仲間とたわいもない話をしたり、いつもよりおいしくご飯が食べられたり。そんな入院生活の中での小さな喜びを大切にするようにしたんです。すると、何でもないことがかけがえのないものに思えてきて、治療への気持ちが前向きになりました」

今、やるべきことをやる。それによって必ず道が開ける
そして2013年5月に念願の退院。6月には練習を再開した。

「9月の湘南ベルマーレ戦で、9カ月ぶりにピッチに立つことができました。しかも会場は、ホームグラウンドのグリーンアリーナ神戸。サポーターらと約束した通り、自分は本当に戻ってくることができたんだ……とうれしくて、感謝の気持ちで一杯でした。その日の試合では、チームのみんなと勝利の喜びを分かち合うことができたのも何よりです。その後はプレーを続けながら、治療後の経過を見るための検査を行うのみとなりました」

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検査は最初のうちは週に1回、やがて2週間に1回、月に1回となり、3年目からは3カ月に1回で済むようになった。選手として完全に復帰し、2014年9月にはFリーグ(日本フットサルリーグ)通算100試合出場を達成した。そして2017年3月に選手引退。同年4月から監督として、チームを率いることになった。

「この5年間を振り返ると、人生の喜怒哀楽のドラマがぎゅっと凝縮されたような、あっという間の月日でした。がんになったことで、たくさんのことも学びました。中でも改めて強く感じたのが、人は今、目の前にあるものにきちんと向き合うことが一番大事なんだということです。どんな状況になっても、今、やるべきことをきちんとやる。それによって、必ず道が開けることを僕は確信しています」

それは今、鈴村が闘病生活を続ける上でも、監督としてチームを率いる上でも強い信念になっている。

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